平泉と宮城を訪ねて5

仙台一番町の夜
3月10日の夜は仙台市内泊。ホテルに荷物を置いてから、仙台一、というより東北一の繁華街、一番町界隈に出かけました。
日曜の夜だからなのか、雪まじりの強風のせいなのか、夜7時なのに人通りはまばら。若い人たちが、追悼のイベントをやっていたほかは、静かでした。ひとつ裏通りの飲み屋街はそれなりに人が入っていましたが、子供のころに知っていた、七夕祭りのメインストリートの雰囲気はありませんでした。
やはり、これも震災の影響なのでしょうか。それとも、アベノミクスだろうがなんだろうが、何をしようと東北の不景気からの回復は難しいのでしょうか。
岩沼市相の釜へ
3月11日。ホテルの窓から外を見たら、うっすらと雪景色。とにかく寒い。画像
朝食をとってから、仙台東部道路を通り、仙台空港インターで降りて、東の太平洋岸へ向かいました。目的地は、相の釜というところです。
途中、父の実家(祖父母の家)のあった谷地中という場所に立ち寄りました。あの津波で仙台空港は大変なことになりましたが、この一帯は家も田んぼもとくにその影響はありませんでした。
なにより驚いたのは、実家が残っていたこと。35年前に人手に渡り、当然、建て替えられていると思ったのに、庭や生け垣は変わっていましたが、建物そのものはそのままでした。
仙台空港へ向かう一直線の道路は、かつてはコンクリの片側一車線でしたが、いまはアスファルト舗装の片側2車線。ただ、やたらにダンプが多く風で土ぼこりが舞っていました。
貞山堀の手前で左に曲がると仙台空港。まっすぐ行くと相の釜です。貞山堀を渡る橋は、昔のままでした。バスで通ると、対向車は通れない、ほんとうに狭い橋です。橋を渡って、左手に祖父母の墓が……
何もありません。砂地が広がっていました。
正確には墓の跡があり、その先に木の香も新しい仮の寺が立ち、立て直した墓もあるのですが、それ以外は遠く海岸のほうまで、ただただ建物の基礎だけが残る砂地です。
昔からあった鉄の櫓は折れ曲がって錆びついています。画像
そして、そこから先は立ち入り禁止区域になっていました。行き先のないがれきを積み上げて、その上に土を盛って芝生を敷き、堤防にもなる公園を建設するのだそうです。
墓のあった場所から太平洋に向かっていくと松林があり、その先に祖母の実家がありました。大きな家で、庭には井戸がありました。夏休みに相の釜に海水浴に行くと、その井戸でスイカを冷やしてくれていました。
夏の井戸水はとても冷たく、塩まみれの体を洗うと、いとこたちはキャーキャー騒いだものです。、大きな包丁で実家の叔父さんが切ってくれたスイカは、キンキンに冷えていました。
叔父さんたち一家は無事に避難できたそうですが、もちろん家は津波に流されています。いまは、家があった場所へ行くことはできません。
太平洋岸のほうには松林がまばらに残っていました。画像
墓地の跡を見て回っていると、私の家の家紋の入った墓石がありました。これがそうだとは断言できませんが、少なくとも墓はここにあったので、これが祖父母の墓なのだろうと思います。だれかが供えた花と缶ビールがありました。
まさか見つかるとは思っていなかったので、私は花も用意していません。とりあえず、夕べコンビニで買って飲まなかった缶チューハイを供えておきました。
被災地の復興とは?
仙台を中心に、宮城弁でシェイクスピアを演じる劇団のドキュメントをWOWOWでやっていました。公演のために石巻を訪れた若者が、廃墟のような港に立ってつぶやくように言った言葉が印象に残りました。
「すげぇな」
取りようによっては不謹慎な言葉です。でも、彼はそのときとてつもない災厄の爪痕を目の当たりにして、本当になすすべもないことに呆然として、そう言うしかなかったのだと思います。
そして、もう一人の若者と一緒に岸壁にしゃがみ込むと、こう言いました。
「ほんとうに復興したのかな」
彼らは仙台市に住んでいるのでしょう。仙台市は東側に津波の被害がありました。ライフラインは一時的にダメージを受けました。いくつかの建物も被害がありました。
でも、前夜と今朝、仙台市内を歩いて回ったり車で走って回ったりした限り、震災の爪痕というようなものは見当たりませんでした。
18年前、震災から11か月たった神戸の三宮を訪ねたとき、いくつかのビルは倒れたままで、道路には液状化の跡が生々しく残ってました。異人館のいくつかは壁が剥がれ落ちたままでした。
語弊があるもしれませんが、私は仙台市ではそうしたものを目にすることはなかったのです。そういう意味では、松島や仙台空港など、ある一定の場所や地域では少しずつ「復興」が進んでいるのかもしれません。
しかし、気仙沼や石巻、女川はどうなのでしょう。福島第一原発の周辺は、復興どころか家に戻ることすらできずに避難生活が続いています。
いつも感じることですが、元に戻ってさらに産業や経済が盛んになる「復興」を目指すのは金の無駄ではないでしょうか。さまざま物をつぎ込んで、建物やインフラを整備し、補助金を交付してイベントや行事、事業を行わせることに意味があるとは思えません。一部の人や会社や組織は儲かるでしょう。でも、地元の人たちにどんなメリットがあるのでしょう。立派な公会堂ができても、腹の足しにはならないということを、みんなバブル崩壊で身に染みているはずです。
必要なのは、それぞれの地域・場所、そして人々が2011年3月11日午後2時45分現在の状態に戻れること、あのときの暮らしが続けられること、つまりそれぞれの状況に沿った「復旧」を実現することこそが必要だと思います。





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