スポーツと「暴力」

スポーツに「暴力」はありえない
大阪の高校に始まった、「体罰」という名前の「暴力」沙汰は、ほかの高校にひろまっだけでなく、ついに、ワールドクラスの、しかも代表レベルにまではびこっていることが明らかになりました。
スポーツ・ジャーナリストの玉木氏は、スポーツは「暴力的な営みを、ルール化することで非暴力化したゲームである」と言っています。古代から現代までのスポーツの進化・発展を見ると、それがよくわかります。
ということは、そのスポーツ、自分がやっている競技・種目がどのようにしてできたかを考えれば、そこからは暴力が排除されていてしかるべきだということが、自ずから理解できる、というか理解するに決まっていると思うのです。
たとえば、なぐり合うスポーツ。これはもう「暴力の権化」としか思えないボクシングだって、暴力ではありません。もともとは戦いとしての殴り合いだったものを、殴り方(ナックルの部分)、殴っていい部分と態勢(下半身はだめだし、後ろから殴るのもダメ)、時間(ラウンド制)などが決められていきました。
素手で殴りあっていたものをグローブに変え、きちんと体系化されたトレーニングや技術が作られ、戦場や街角での殴り合いから、スポーツになったのです。
いつもプロボクシングを見ていて感心するのは、ボクサーがパンチをよけていること。彼らは殴る技術を磨くだけでなく、よける技術もきちんと磨いているのです。
殴り合うのならだれでもできます。いま、グローブを付けて人を殴りなさいと言われれば、すぐにできます。サンドバッグをたたくのも簡単にできるでしょう(ほんとは叩き方をきちんと教わらないと手をくじきますが)。
でも、ボクシングはできないでしょうね。それは、殴り合いが単なる「暴力」で、ボクシングが「スポーツ」だからです。
ボクシングのトレーニングで、竹刀や棒や素手で叩いてボクサーを指導するということは考えられるでしょうか。たしかに、よけ方を習得するためにやることはあるかもしれませんが、それは「体罰」とい名の「暴力」ではありませんよね。
「当たったら痛いから、うまくよけられるように動体視力を鍛えなさい」というので、棒の先にグローブを付けて突き出すというトレーニング。ボクシングの漫画で見たことはありませんか。あれを、暴力や体罰だと思う人はいないと思います。もちろん、「叩くために叩いている」場合は、暴力ですが。
だいたい、いっぱしのボクサーのトレーニングで「殴る」「叩く」といった体罰は成立しないでしょう。よけちゃいますから。
それはともかく、殴り合うスポーツのボクシングですら、トレーニングや指導に名を借りた「暴力」はありえないのだと、私は思います。
自分のやっているスポーツを理解している?
私は、小学校から中学校2年にかけて、朝礼で並ぶと前から5番目以降になったことがないほど、低身長でした。いわゆる「いじめ」の標的にされた経験もありますが、とりあえずそれは置いておいて、ここでは「体育」の話。
この年頃は、体の大きさや身体能力の発達状態に、大きな差があります。たとえば、中学入学時の私は、身長が143cmで、体重は35㎏ぐらいだったと思います。で、クラスで一番背の高い子は身長165cm、最も重い子(デブということではなく)は65kgほどだったと記憶しています。
力でも能力でもかなわない私は、どうしたかというと、まず競技の成り立ちやルール、そしてさまざまな技術の理論的な習得(つまりは頭の中で、やり方を反復して覚える)に精を出したのです。
なかでも、いまも続けているサッカー。私が中学校時代に使った英和辞典は、英国の地名のところに赤鉛筆で線が引いてあります(マーカーなんかなかったので)。kickとかheading、trap、footballなんていう言葉にも。ルールやボールの蹴り方は、図書室にあった指導書で覚えました。そして、できるできないは別にして、昼休みや放課後にやる遊びのサッカーで試してみたのです。
そうそう、玉木氏が「スポーツの取材をしている記者やTVスタッフが、バレーボールのバレーの意味を知らない。バレーボール部にいた人でも知らない」と書いていました。私は、サッカーのボレー・キックのボレーが、バレーボールのバレーと同じだということを、中学2年の時に知りました。体育で使ったバレーボールに「Volleyball」と印刷してあったのを見て、辞書で調べたのです。
もうひとつ、そうそう。そのvolleyから派生して、バレーボールやバスケットボールはコートのラインから外へボールが出てもアウト・オブ・バウンズにならないのに、なぜサッカー(あとでラグビーもそうだと気づいた)では地面を転がろうが空中であろうがライン上を越えたらアウト・オブ・バウンズになるのかを、真剣に考えました。答えを書きたいのですが、長くなるので、ご自分で考えてみてください。球技に対する理解が深まりますよ。
話を戻しましょう。
自分のやっているスポーツを理解することと、暴力排除が関係するか。
サッカーのトラップがうまくできない人が、叩いたり小突いたり、口汚くののしったりすることで、できるようになるのでしょうか。「こうしてみよう」、「こうやってみたら」、「こうすれば」、うまくできるんじゃないかなと教えるほうが、ずっと効果的で建設的だと思うのです。
じゃ、なぜできないのか。その人は、どうすれば上達するのかを、つきつめて考えたことがないからです。考えると言ったって、毎日寝るとき以外ずっと練習するということではありませんよ、間違えないでください。
もちろん、監督とかコーチとかになる人ですから、子供のころからスポーツがよくできて、考えるより先に体が反応して、ちょっと教えたらすぐにできたのかもしれません。そんな子ですから、手ぇ抜いたりさぼったりしてミスをしたら、怒られます。その怒り方が、たぶん暴力的だったのでしょう。たとえ物理的暴力でなくても、「この××野郎」とか「バ×ッ」とか、もっと口汚く(英語ではbloodyなどというたぐい)ののしられたのでしょう。
そのスポーツのよってきたる所以を知らず、正しい上達の方法も知らずに大きくなったのでしょう。とはいえ、高校、大学と、学ぶ機会や知る機会、考える時間はいくらでもあったはず。それをしなかったのですから、そういう人を育てた指導者や環境だけのせいとは言い切れません。
大阪の市立高校の生徒が記者会見をしていましたが、そういう考え方・思考形態がこびりついているんだなあと思いました。彼らはみな主将だったそうですが、きっとそのまま大学に行って、同じような指導を受けて学校の先生や有名な選手になって、監督・コーチの立場で同じことを繰り返すんだろうなぁ。

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