1981年、なでしこの卵たちの思い出

女子ワールドカップ決勝のキックオフまで、あと9時間ちょっとになりました。
たしかにアメリカはFIFAランキング世界一です。でも、ランク通りに決まるわけはありません。
今朝、コパアメリカの準々決勝では、ウルグアイがアルゼンチンを抑えて準決勝に進みました。
結果としては引き分け扱いですが、後半から10人で戦い、なおかつカウンターでチャンスをつくりました。ゴールキーパーのファインセーブもあって、そのままドロー。メッシを活かしきれず、テベスは覇気がなく、最後までちぐはぐだったアルゼンチン。
それに比べて、ウルグアイの戦い方は徹底していました。フォルランとスアレスの強力な2トップを軸として攻撃させ、他はひたすら耐える。たたじ、クリアはできるだけ縦パスになるように。
それだけで、次のステージに残りました。
つまり、ランクもあるけれど、「自分たちの戦い方」を貫くことが大事なのだ、ということです。思い返せば1年前の男子のワールドカップで、日本もそうでした。
一部からは「日本サッカーの未来をつぶした」とか言われましたが、結果がすべてなら、あれは勝ちです。そのときベスト4に残ったウルグアイが、同じ戦い方で今回も残ったのですから、やはり「自分たちの戦い方」は大事です。
なでしこジャパンも、これまでの戦い方を貫いてほしいと思います。その結果がトップなら言うこと無しですが、仮に仮にですが、2位であっても「価値ある2位」。ファイナリストとしての栄誉は色褪せないはずです。
1981年夏、二子多摩川緑地の思い出
7月12日の朝日新聞スポーツ面に、潮さんのコラムがありました。25年前の女子日本代表の思い出です。
代表といいながら、旅費の一部は自己負担。スポンサーはなし、グッズのサポートも無しという時代でした。
私は、それを読んで、さらにその6年前のことを思い出しました。
当時、私は港区の中学校に通う中学生のコーチをしていました。中学にサッカー部がなく、自分たちでクラブをつくったけれど、指導してくれる人もグラウンドもなし。
サッカーマガジンに載った「教えてくれる人募集」に私が応募してたのです。練習はほとんど、いまのホンダの本社ビルの近くにあった青山公園。通称「さんれんたい」。旧陸軍近衛第三連隊のあった場所です。
土埃がたち、もちろんサッカーゴールもなし、ラインもありません。そんな彼らに芝の(ホントはクローバー)のサッカーグラウンドでやらせたいと思い、私はかつてのチームメートに頼んで、2~3か月に1回、二子多摩川緑地にある渋谷区や世田谷区のグラウンドをとってもらいました。
1981年の初夏、そこで練習していた私たちのそばで、女子のチームがボールを蹴っていました。グラウンドの外の、多摩川との間のほんのせまい草地でした。
コーチをしている人の話では、大学の同好会。ただしチーム登録できないので、グラウンドが確保できず、ここで練習していると言うことでした。中学生のチームも、練習はするけれど、試合の相手はいません。大学生や社会人のチームを相手にするには、まだまだ荷が重すぎますから。
そこで、私たちは、彼女たちと急遽練習試合をすることにしたのです。
そろいのウエアもなし。なかには高校時代のジャージという人もいました。スパイクを履いている人は数人。スニーカーならいいほうで、いわゆるズック靴の人もいました。
ないないづくしの環境の中で、彼女たちは本当に楽しそうに中学生と試合をしてくれました。
その後、彼女たちがどこまで進むことができたのか、私は知りません。
でも、あの中から「なでしこジャパン」の礎となってくれた人がきっといたはずだと信じています。
今夜のキックオフ、楽しみです。

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