朝青龍は、なぜガッツポーズをするか

こどもニュースでわかったこと
先週の週刊こどもニュースで、日本にあるモンゴル相撲のクラブを取り上げていました。場所は、汐留とか品川あたりの埋め立て地の公園のようでした。
それはともかく、小学生のリポーターの男の子が、試合前の鷲の踊りとか、勝った後の喜びのポーズをリポートしていました。
両手を大きく左右に広げて、体をゆっくりと回転させながら踊るように歩く。それを見ていて「あっ」と気がついたのです。
あれは、朝青龍が優勝した後に、よく土俵下でやっていたポーズだと。
もうひとつ、モンゴルのナーダムの映像も流れていました。鷲の踊りだけでなく、勝った力士は天を仰ぐようにして、両腕を広げてガッツポーズをしているのです。
これも、朝青龍がよくやっては、批判されていたものと同じでした。
朝青龍の素直すぎる感情表現
朝青龍は、ガッツポーズにしろ花道でのバンザイに似たポーズにしろ、モンゴル相撲の儀式ともいうべきポーズを自然にやっていたのでしょう。
幕下以下の取的の時代にやっていたかどうかはわかりません。でも、十両や幕内下位から三役当時はやっていなかったと記憶しています。
その後、一人横綱の無敵時代に少しずつ出るようになったはず。
その当時は、私は「たまにならいいじゃないか」と思ったものです。「外人力士」(私はこういう言い方は好きじゃないけど、お年を召した親方衆の口からよく出る、若いけど高砂さんもときどき言う)にもかかわらず、ものすごい責任を負わされて、そのプレッシャーから解放されて思わず出ちゃったのなら、それもたまにはいいだろうと。
それ自体は、自然なものでした。また、似たようなことをおもわずやっちゃった力士は、それ以前にもたくさんいたでしょう。
だから、「品格」云々ではなく、「気を付けなさい」程度で済んでいたわけです。
ところが、素直な朝青龍は、「たまにはやってもいいんだ」と思ってしまったのでしょう。でも、優勝が「たまには」じゃなくなった頃から、今度はそれが我々の鼻についてきたわけです。
モンゴルの流儀と日本の格式
さて、ここで問題となるのは、朝青龍はモンゴル式の喜びの表現を素直にやってしまった。日本の相撲という格闘技でありスポーツ競技であると同時に、格式を重んじる神事にも通じる伝統芸のなかで、それをやり続けようとしてしまったのです。
相手への思いやり(何も倒れている力士や土俵下の力士に手を貸すということではありません、絶対に)、礼に始まり礼に終わること、所作のひとつひとつに込められた意味をくみ取ること、などが重んじられる相撲では、たまにならよくても、始終やってはだめなのです。
神事だとすれば、土俵上ではげんこつをつくってはいけないのです。
たしかにふだんの行状が問題だから「品格」を云々された朝青龍。私は、基本的に29にもなって、そんな分別がないのはどうかと思うし、辞めさせるのが当然だと思います。
ただ、その前に、日本の相撲はモンゴルの相撲と違う思想や格式やルールがあるのだということ、その意味はこれこれだということを、なぜだれもきちんと教えなかったのか。先輩横綱の大鵬さん、北の富士さんはよく言っていましたが、しょせんは相撲協会から引退した部外者。
親方は大関止まりだったからというなら、協会の北の湖、九重らがなぜできなかったのでしょう。それともうひとり、うそをついていた個人マネージャーとかいう人。たしか関取の息子で、自分も相撲を取っていたはず。
こうしてみてみると、現在の日本相撲協会って、力士に対してなんの教育もしてないんじゃないのかと思ってしまいます。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック